アスリートの皆さんが東京でNo,1を決めるための祭典、そして努力してきたそれまでをともにたたえ合う祭典、オリンピックが終了しました。

なぜ閉会式の翌日なのに総集編的な番組がないのか?いつもなら各局メダリストを呼ぶ番組が並んでいるはずなのに、と感じている方も多いと思います。これには著作権が絡んでいます。オリンピックの映像は厳密にいうと競技終了後24時間以内しか無料で使用することができず、さらに各局の総放送時間も決められており、それを越えると高額な放送料を支払わなければならない、という現状があります。ときどき見られる、途中経過を写真1枚で紹介するみたいなモノもそういう映像の版権にまつわる『お金』の事情があります。

閉会式についても、開会式同様、『お金』と規模が見合ってないなどの意見がネットには溢れていました。日本人として、「日本の文化や芸術」を世界に発信できる場所だったはずなのに…という期待を満足させるようなプログラムではなかった、という感覚はある意味、正しいとも思います。大手広告代理店、大会組織委員会などへの不満が高まるのは、開催直前のゴタゴタやそれまでの経緯などを考えると、クオリティに影響が及んでいた、とも思います。

コロナ禍での、感染拡大している中でのオリンピックは世界でまだ誰も経験したことのないモノでした。その中では良くやった、という声も上がってくることも当然ですし、そこも取り上げて紹介していくこともまたメディアの使命だと思います。

誰もが声上げることができるようになった現在、自分の意見と違う情報には攻撃をし、自分はこう思う、という発信ができるようになったことで、それをまた違うと思う、という連鎖が繰り返し、誹謗中傷にまで広がっていく形がスタンダードになりつつあります。誹謗中傷は、その人の『個性』をも傷つけてしまう大きな問題であり、凶器を持っているか否かの違いだけで犯罪となり得ることをもっと多くの人が考えてもらえるようになればいいなと思います。“表現の自由”は「人を傷つけていい」ワケではないのです。

今回のオリンピックで、やはり「スポーツの力」を改めて感じ取ることができ、とてもうれしく思いました。スポーツはルールに則って、その中で競い合い、試合後はお互いがたたえ合う、まさに人としての原点を見せてくれる、とても意義深いモノだと改めて感じました。とともに『リアル』であること、『ライブ』であることの重要性も感じることができました。『リアル』であるからこそ心動かされ、『ライブ』であるからこそ、共有できる感情が生まれ、そこに『リアル』、つまり『本当のこと』が画面を通じて伝わるのだと改めて感じました。

『本当のことはなにか』はテレビを見ていた人全員が同じ、というわけではありませんが、少なくとも多くの人が「感動」し、「共有」し、応援したい!という気持ちになったのだと思います。応援したい!という気持ちになる、つまり人が心を動かす、心を動かされる何かをスポーツは持っていて、それはその競技中だけでなく、その準備やそこへ向かうまでの過程の中にちりばめられているのだと思います。

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