1ヶ月あまり更新をできず…自分の不甲斐なさを痛感しております。

『本当のこと』について、いろいろと考えて行くと、“自分の答え”が見えてくるのですが、それが世の中の動向と違う感覚、ズレているのでは?と思うことが往々にして出てきます。それを自分で律していくことはとても大変で、ツライことも起きます。

でも、それでも、と言い続ける、もしくは思い続けることが、また『本当のこと』に近づく一筋の道でもあるのだと自分は感じています。どうしたらこの胸のモヤモヤのような感覚が拭えるか、を考えたこともありますが、これがなかなかうまくいきません。自分もそれが元でかはわかりませんが、仕事に支障を来したこともあります。

でも、『本当のことは何か』を探る第一歩である、“そう言われてるけど本当にそうなの?”と疑うことはやめられませんでした。今でも続けています。それはなぜか?これはもう個人的な、気分的なモノかもしれませんが、逆に言えばそうすることで自分の中で落ち着く、というか、腑に落ちるから、だと思います。

世の中の道理から考えれば、外れている、マイノリティである、と言われたとしても、自分で体験して、傷つくことになろうとも、自分の納得感が満たされれば、その方法をとってしまう。まあ傍から見れば、ただ単純にワガママなだけだと思います。でも人に、周りに迷惑を掛けないぐらいのワガママは誰でもやっていそうなこと、でもあります。

目指すべき場所があって、そこへどうやって辿り着くか?早く辿り着く方法を知っている人もいれば、地道に1つずつクリアしていく方法しかできない人も中にはいます。

『本当のことはなにか』を巡る旅は、1人ではなかなか難しいのです。だからいろんな意見を出し合って、みんなが目指せる方向と場所を確認して…という流れで世の中は動いています。

誰か1人の意見と強烈な思いだけで突き進むことも資本主義経済の中では往々にしてあります。でも、それで成功しているから、といって“正解”というワケでもない、売れたから成功、売れなかったら失敗という世の中でも、“正しさ”は存在しているはずです。

性善説で考えれば、皆が“正しくありたい”と願っていて、でも、なかなかすべてのことを“正しく”行なえているわけではない、という現状もやっぱり『本当のこと』なのだと思います。

そうなると『本当のこと』って一体何??となります。突き詰めると『本当のこと』は自分の中で勝手に作った“自分だけの理屈”になってしまうように感じられます。

様々な人が公に何でも発信できる世の中になったことで、それも徐々にですが認められてきましたが…つづく

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